てわざの極み

ここでは、”てわざの極み”とも呼べる

多くの技術や材料を使った蒔絵を紹介する

箱瀬の作品の特徴に「奥行きが感じられる背景」がある。
それは、決められていない自由な貝や紛などの材料の蒔き方に秘密がある。
細かく砕いた夜光貝、様々に混ざった金紛や銀粉。
それらを紛筒、もしくは指を使い蒔いていく。

どんな材料を、どこに、どのように、どうやって蒔くか。それが作品の出来上がりを左右する。

その完成された物の秀逸さが真似できない技術を物語っている。

蒔絵師は普通「置目(おきめ)」という目印のようなものを器物に胡粉で転写し絵を描いていく。
だが、この蓮を描く場合ざっくりとしたあたりのみ行い、後は感覚で筆を動かす。

流れるような筆の動きは蓮の生命力に引っ張られているかのように迷いがない。

すべての工程において定説など存在しないに等しい。
なので同じ蓮の蒔絵に出会うことがない。一つ一つの出会いが最初で最後かもしれない。
もしこの蒔絵を見る機会があったらじっくり手に取って違いを見ていただきたい。

動画が何を描いているか分かるだろうか。
磯蒔絵の海老のひげ部分である。

筆先の一点に意識を集中させ、圧力を一定にかけ筆を動かす。

言葉では理解できるが、細く張った線を描くのは容易ではない。
特に器物がぐいのみのように曲線になればなおさらだ。

実際に手に取って、今にも動き出しそうな躍動感を感じていただければと思う。

筆先がとても長い”蒔絵筆”と呼ばれる筆の先の部分に圧をかけながら「上絵」を描く。
この作業は蒔絵の最後に、芯となる部分を加えることである。

画像は”夕月蒔絵”と呼ばれ、船から人が網を引き揚げているところを切り取った場面。

船のきしむ音、網の勢い、人が生き生きと仕事をするその躍動感を感じることが出来る。

漆はとても粘り気があり扱いにくい。
特殊な筆と粘性が高い漆。
これを自由自在に扱える蒔絵師は少ない。

 

桜のしべも「上絵」である。
周りに点を打ってからしべを伸ばす。
線を引くことはもちろん点を打つことも集中力を使う。

それは花が咲き誇り、生きているその瞬間の画を描き出すため。

桜の毎年必ず咲くその律義さと
早々と散る潔さに想いを馳せながら。

 

干支のぐいのみ。

小さな空間の中にまさに生きている干支たちが楽しませてくれる。

その中でも注目してほしい部分がある。
苦手な人がいるかもしれないがぜひ蛇を見てほしい。
詳しく言うと蛇が巻き付いている”琵琶の弦”だ。

そのピンと張りつめた緊張感。
これは人が描いているのかと見まがうだろう。

銀鈖と漆、卵白を混ぜてこの作業専用の漆を作り、

刷毛で塗っていくと刷毛目が立ち、銀の美しい流れが完成する。

その配分は職人の勘に頼ることになる。

その時の季節、気温、湿度などを考慮に入れながら材料の入れる量を調整。
ゆえに一つ一つの個性が際立ち、唯一無二のものとなる。